山東省鄒城邾国の故城遺跡で、戦国時代に建てられ、秦漢まで使われた大型建築遺跡が発見され
中国山東網10/09
中国国家文物局はこのほど、山東省の「鄒城邾国故城遺跡」など4項目の「考古中国」重大プロジェクトが重要な進展を遂げたと通報した。このうち、「邾国故城遺跡」では、戦国時代に建てられ、秦漢時代まで使われていた大型建築遺跡が新たに発見された。
「邾国故城遺跡」は山東省鄒城市に位置し、東周時代(紀元前770年から256年)の「邾国」の都邑と秦漢時代(紀元前221年から西暦220年)の「邾県」の鄒県県治遺跡である。遺跡の総面積は約6平方キロで、長方形に近い。「東周」期の「邾国宮殿区」「貴族の墓区」「青銅器工房区」はそれぞれ城内中部の北寄り、北部と南西部に位置しているほか、城内南部と城外西部にはこの時期の住宅地と墓地が発見されていた。
「秦漢から魏晋までの時期(西暦220年から西暦420年まで)、城内中部の北寄りは秦漢時代の鄒県官署区であり、城内南部、南西部はすべて普通の居住区となり、城外西部は依然として居住区と墓地であった。山東大学歴史文化学院の路国権教授によると、2022年以降、考古学者は城内中部の北寄りの場所を重点的に発掘し、面積が大きく、構造が完全で、柱基礎、軒柱、散水、庭、門塾、道路、活動面などがよく保存されている大規模な地固め建築の遺跡を明らかにした。この建物は戦国時代(紀元前475年から紀元前221年)に建てられ、「初步国工官邸」とされ、秦漢時代に県衙として使われたと初歩的に判断した。
建物の敷地週辺の灰坑、灰溝からは封泥821枚、陶文243枚が集中的に出土し、数量的には「騶丞の印」「騶亭間田宰」などの内容が最も多く、また騶県傘下の複数の郷印、庫印、および周辺の10余りの県の県丞の印も含まれ、年代は秦代、前漢から新莽の時期までをカバーしている。また、秦漢県役所の庭の地面の下で、戦国中期の青銅製錬の遺跡がよく保存されていることが明らかになり、溶鉱炉、焼範坑、鋳鋳坑、砂料貯蔵坑、廃棄物堆積場などの遺跡が発見された。
「邾国故城の考古学の新発見は、東周時代の邾国都城から秦漢県治への転換過程における都市の様子の変遷を掲示し、中国が東周時代の諸侯並立から、秦漢大統一王朝に向かうという偉大な歴史過程の貴重な縮図である。」と専門家は言った。