2019船場まつり・『船場書画展 日中友好大阪画院展』3日目

船場まつり3日目の10月6日は、毎年恒例となった神輿巡行です。難波神社神輿会の会長もされている船場センタービル連盟の池永純造会長と一緒に、私も朝早くから神輿祈願から巡行まで参加させて頂きました。

昨年もこの新聞記事でご紹介しましたが、大阪を代表する稲荷社として古くからあつい信仰を集めてきた博労稲荷(難波神社摂社・大阪市中央区)の神輿巡行は、勇壮な『男組』と華やかな『女組』がそれぞれに神輿を担いでお祭り気分を盛り上げるのです。この巡行は『船場まつり』の一環として平成24年におよそ50年ぶりに復活し、8年目となる今年も商売繁盛を祈願して、博労稲荷の神輿が船場の街を練り歩きました。特に2019年の今年は『船場まつり』が始まって10周年の節目を超えて11年目となります。

当日朝9時、私は神輿巡行に参加される皆さんと難波神社で合流しました。池永会長をはじめ船場地域の方々は地域の伝統文化を維持し、次世代に確実にバトンタッチ出来るように努めています。今年初めて加わるという一人の男子中学生が、その場に居た一人ひとりに丁寧に挨拶をしていました。池永会長は「この子がこの中で最年少だよ」と嬉しそうに話してくださいました。

今年も朝早くから集まって最終リハサールを行い、『男組』『女組』の神輿巡行参加者全員と関係者が難波神社の本殿で安全祈願の御祈祷を受けました。最終リハサールの時も巡行の時も、神輿を肩に一生懸命担ごうとするものの、今は背も力も先輩達に届かないこの最年少の男の子の真剣な眼差しを見て、伝統を受け継ぐ熱意と行動力のある若者が確実にここに存在して居る事に感動しました。その後いよいよ神輿巡行が始まりました。

以前、池永純造会長が私に日本の神輿と神輿巡幸について丁寧に解りやすく説明してくださったことを思い出しました。商売繁盛の神様(博労稲荷社の神様)に多くの人がお会い出来るように、神社に祀られている神様の御魂に『安全と商売繁盛』のお願いをしてから神輿に乗って頂き、皆でそれを担いで商店街を「巡幸」するのです。様々な理由や都合で普段から神社にお参りに行けない人でもこの神輿の巡行を通して神様とご縁を頂ける、神様の偉大なお力を授かって幸せになれる、という優しい考えから生まれた行事です。

難波神社の氏子地域であるせんば心斎橋筋・船場心斎橋商店街の区域において、ご祝儀頂いた方々への『船場締め』を行ないながら、きらびやかな神輿が賑やかに渡って行きました。因みに『手締め(てじめ)』とは日本の風習の一つで、物事が無事に終わったことを祝ってその関係者が掛け声とともにリズムを合わせて打つ手拍子のことで『手打ち』とも言います。大阪には『大阪締め』という独特の手打ち方法があることが広く知られていますが、その中でも更に船場は船場独自の『船場締め』という手打ち方法を今に伝えています。

昼食後は、私と私の研究室の会員である高原さんと二人で、船場センタービル6号館で開かれている裏千家茶道・左近宗真先生のおもてなし茶会『船場まつり釜茶会』にもお邪魔しました。

左近宗真先生は私が大尊敬するお茶の先生です。船場まつりの時、どんなに展覧会が忙しくても左近先生にご挨拶に行くと私は心に決めています。先生は着物姿も洋服姿もどちらもステキな美・知・心・技を兼ね備えた日本女性で、私が大好き・大尊敬する方の一人です。『船場まつり』で本格的な裏千家のお茶を堪能できることはとても幸せなことです。大尊敬する左近宗真先生にご挨拶をして、先生のお弟子さんが立てた美味しいお抹茶と季節の和菓子を頂きました。左近先生は特別に日本の茶道について語ってくださいました。来年こそ、念願の左近先生のお教室へ入門したいと思いました。左近先生とお弟子さんと一緒に記念写真を沢山撮って、私と高原さんは幸せな気分で『船場書画展』の会場に急いで戻りました。

池永純造会長をはじめ、地域の方々が一丸となって船場の街の大切な伝統と文化を未来に確実に伝えていこうとするあつい情熱と姿勢、そして若い世代がそれを敬意を持って受けとめ、受け継ごうとするその情熱と姿勢に今年も心打たれた私でした。心から「毎年、沢山の感動をありがとうございます」と自然に感謝の言葉が出てきます。ふと、展覧会で「沢山のジャンルの絵画を見ることができた。ありがとう」と感謝の言葉をお客様から頂いたことを思い出しました。

『船場書画展・日中友好大阪画院展』は地域の皆様、そして船場センタービル連盟の池永純造会長をはじめ多くの方々のあたたかい支援を頂き、今年も大団円に幕を閉じました。この場をかりて、心からお礼申し上げます。蘊承軒・大阪画院は、船場地域の文化と芸術の発展、そして国際交流に微力ながら貢献できることを光栄に思っております。また大阪画院の会員の皆さんにも改めてここで感謝の意をお伝えします。

執筆者:李留雁