人形・玩具を守り伝える ——日本人形玩具学会・第30回研究発表大会(京都)

2018年7月15日 - コラム 文化芸術 未分類

人形・玩具を守り伝える
——日本人形玩具学会・第30回研究発表大会(京都)

平成30年7月8日、京都国立博物館にて日本人形玩具学会の第30回研究発表大会「人形・玩具を守り伝える」が開催されました。
老舗人形店「吉徳」の顧問である青木勝先生のお陰で私はこの大会のことを知りました。実は昨年10月中旬から今年3月に掛けて、北京、広州、上海、瀋陽の大都市を巡回する『日本人形展・全国巡展 2017—2018 中国』という展覧会が開催されました。その開催地の一つである瀋陽の会場が、なんと私の母校「魯迅美術学院」だったのです。私が大変尊敬している母校の恩師である張英超先生が、この展覧会の企画を取り仕切られました。張英超先生はこの時展示された一つ一つの人形に最も合う手法を用い、その人形が一番魅力的に見えるような展示をされたのです。この展覧会の開幕式には、日本から青木勝先生が招待されました。青木先生は会場のお客様に対して、直々に展示作品の案内をして下さいました。人形型のしおりを作成する簡単なワークショップも開催されました。この展覧会の反響は大きく、中国各地で日本人形ブームが巻き起こりました。そんなブームの中で、更に日本の人形文化を中国の愛好家に詳しくお伝えしようと、青木先生も参加されているこの研究発表大会を今回取材させて頂くことにしました。

この時期、西日本は激しい豪雨と暴風に見舞われ、各地で特別警報が発令されていました。開催地の京都でも河川の水位が急上昇し、決壊する地域が出るなど大変な被害がありました。前日まで無事開催できるか危ぶまれましたが、当日は打って変った良い天気となりました。日本各地から集まってきた人形の専門家達がこの大会に参加し、熱心に研究発表に耳を傾けておられました。会場には熱気が溢れ、とても充実した内容の研究大会でした。
東京から来られた日本女子大学名誉教授であり日本人形玩具学会副代表理事の增淵宗一先生から今回の大会の実行委員長である田中正流先生へ、大会後にフェイスブックから送られたメッセージの言葉にもこの大会の成果の大きさが窺えます。「田中正流さま、実行委員のみなさま、記録的大雨、交通網の乱れなど悪条件下での大会の開催でありましたが、中身が充実しており、非常によかったと思います。お疲れさまでした。今後ともよろしくお願いいたします。」

当日は日本人形玩具学会代表理事である小林すみ江先生が開会の挨拶をされた後、午前中は京友禅の老舗「千總」の代表取締役社長・仲田保司社長が基調講演をされました。午後からは京都府埋蔵文化財調査研究センターの加藤雄大先生、「人形劇の図書館」の潟見英明先生、祭禮懸装品研究所の前田好雄先生、奈良県立美術館の飯島礼子先生、天理大学付属天理参考館の幡鎌真里先生、京都国立博物館の山川暁先生が次々と研究発表されました。更に夕方からは増渕宗一先生、山川暁先生、幡鎌真里先生、そして司会として平等院ミュージアム鳳翔館の田中正流先生を加えた四人で、「人形やおもちゃを守り伝え、活用するために」というテーマでの討論会が行われました。

この大会で発表された内容について、先ずは京友禅の老舗「千總」の代表取締役社長・仲田保司社長の基調講演を「講演・研究発表要旨集」の内容を引用しつつ皆さんにご紹介しましょう。
仲田先生は『千總』の歴史と京友禅の未来への継承について、以下のように語られました。
『「千總」という会社の創業は1555年(弘治元年)で、日本史的にいうと(武田信玄と上杉謙信が)第二次川中島の合戦をやっている頃です。戦国時代と一般的に言われている時代に創業致しました。烏丸さん・・・ほぼその辺で創業し致しましてから460年に渡って皆様から支えて頂いています。創業者は千切屋西村与三右衛門という方でした。ですから千切の「千」と總左衛門の「總」の二文字から会社を命名しました。千總の紋は 滕(千切)に橘、菊、藤の花をあしらったものです。』

『「京友禅」は今から350年ほど前の京都で開発された・・・一般的には宮崎友禅斎が友禅染を開発したと言われています。宮崎友禅斎が扇に絵を描いたところ大変評判となりその扇がよく売れました。そのように扇に描いていた絵を更に色々なものに活かせないかと・・・つまり江戸時代になって世の中が安定してきた頃に、これまでにない物を求めるお客様のオーダーの中で、織物には表現できない様なやり方で何か出来ないかという事で考えられたのが友禅染ではないかと考えます。もちろん宮崎友禅斎がこの方法を考案はしたとは思いますが、本人が実際にやっていたかどうかはちょっと解らないです。とにかく彼がプロデュースをしてやった事が、これまでにはない「友禅染」という染色方法として開発されました。』
『私たちは時代を経て破れ・摩耗・退色などして傷みの激しくなった着物の復元を行っています。復元や修復にはその時代の繊維・染料・技法についての多岐にわたる深い知識と、それを実施できる高い技能が求められます。千總は学術機関とも協同しながら、所蔵する江戸時代の小袖はもとより、明治期に海外へ渡った染織品など、国内外に潜在する修復の必要性に応えています。重要文化財「束熨斗文様振袖」(京都国立博物館蔵)の復元作品を2年の歳月をかけて制作しました。』

仲田先生は型染めと絞り染めについても語られました。発表会会場には、絞り染めや刺繍など幾つもの高度な技を結集して製作された一千万円の振袖が展示されていました。仲田先生は「この振袖の模様はわざと綺麗に揃えないように、少し不揃いにして製作しています。あえてこのような事をするのは何故だかお解りですか」と尋ねられました。これについて私は「製作過程の全てが、高度な技と美的センスを持った職人達による手仕事だからです。芸術性を高める為にあえてこうしているのです。この振袖は工芸品ではなく、芸術作品だからです。」と答えました。
講演後の短い時間でしたが、仲田先生と親しく交流する事が出来ました。千總は技術の上でも芸術の上でもとことん拘ってきた会社であることに、私は大いに感服しました。(つづき)    執筆者:李留雁